森の美術館in雲仙
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300円
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午前9時~午後7時まで
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▼2010年:
①勝海舟・坂本龍馬が通った島原半島のその頃の文化(H22/1/24~4/11)
②坂本龍馬がいた頃の長崎の文化(H22/4/25~8/29)
③坂本龍馬の後援者 小曽根乾堂とその一門展(H22/9/5~12/19)
④坂本龍馬が雲仙の湯に入ったという

勝海舟・坂本龍馬が通った島原半島のその頃の文化◆H22/1/24~4/11[ホームページ]
勝海舟・坂本龍馬が通った島原半島のその頃の文化元治元年(1864)坂本龍馬は勝海舟らに同行し、熊本より島原に渡り、雲仙市を横切って愛津に一泊し、初めて長崎に入った。
翌年、「亀山社中」を結成し、海運業・貿易業を手掛ける。
坂本龍馬が通った頃の島原半島の文化は、生活はどのようなものだったのか?その昔、キリスト教の弾圧、半島の凶作・年貢の取立や、雲仙岳眉山の爆発被害等に端を発し、島原藩の財政は逼迫していた。
当時鎖国中で、長崎は唯一貿易を認められて開国し、清国・蘭国との貿易で栄え、島原藩は諸国の密貿易を監視する役目があり、藩は多忙を極めていた。
文化面では、シーボルトの絵師加来佐一郎や佛僧河上鶴立や立花雲仙・立花雲岫・岡野眉山・津山一臣らの思想家も活躍していた。
諸国からの往来も多く、田能村竹田・頼山陽・吉田松陰等の来訪が伺える。
ともかく、坂本龍馬・勝海舟らが活躍した頃の島原半島の文化人や往来があった人々、関係する人々の作品を集め往時を見てみたい。
【主な展示品の作者】
勝海舟・坂本龍馬(複製)・高島秋帆・釧雲泉・月雪香・岑巴谷・河上鶴立・田能村竹田・田能村直入・松平忠和公・松平忠馮・松平忠恕・岩瀬行言・中島廣足・中島廣行・金子三澤・竹添井々・八十島又橋・立花雲仙・立花雲岫・加来飛霞(複製)・山下悳二郎・湊汲古・河上鴻立・河野秋景 その他

[坂本龍馬・その刻と文化①]

坂本龍馬がいた頃の長崎の文化◆H22/4/25~8/29[ホームページ]
坂本龍馬がいた頃の長崎の文化坂本龍馬は、若くして江戸に武者修行に出た。
元治元年(1864)勝海舟のお供で、長崎に来た目的は、長崎の海軍養成所の建て直しのためだったといい、ここで語学、航海術、数学、測量と商法(貿易・海運業)を学び、亀山社中の結成へと発展した。
当時日本は鎖国中で、諸外国から開国要求交渉が繰り広げられて、国内は鎖国か開国か、尊王攘夷論・大政奉還かとゆれていました。
坂本龍馬らの斡旋で、薩長同盟が結ばれ、やがて安政の開国へと流れ、米英露仏蘭と通商条約を結び、長崎は横浜・函館と共に自由貿易港へと発展して行きます。
この頃、長崎には諸国より遊学を希望する新進の若者・儒者などが学問・芸術を学ぶため集まり、西洋・清国などの画風を学び、書・絵画の文化も大いに発展しました。
この幕末から明治初期にかけての長崎を中心とした書画・工芸を集めて、坂本龍馬・勝海舟・小曽根乾堂らの時代を鑑賞したい。
【主な展示品の作者】
勝海舟・坂本龍馬(複製)・上野彦馬・吉田松陰・伊藤博文・後藤象二郎・副島種臣・西郷隆盛・松方正義・小曽根乾堂・祖門鉄翁・木下逸雲・三浦梧門・川原慶賀・松平忠房・渡辺清・渡辺昇・広瀬淡窓・草場珮川・横井小楠・成瀬石痴・田能村竹田・中島廣足・中島廣行・江芸閣・江稼圃・陳逸舟・費晴湖・徐雨程・王克三・岡田皇所・亀山焼・馬淵龍石・亀女 その他

[坂本龍馬・その刻と文化②]

坂本龍馬の後援者 小曽根乾堂とその一門展◆H22/9/5~12/19[ホームページ]
坂本龍馬の後援者 小曽根乾堂とその一門展小曽根乾堂は代々貿易商の家系で、12代小曽根六衛門の子で、幼名は六郎、通称は栄。
書画に通じ、17歳のとき長崎の南画家祖門鉄翁の門に入り、書は特に隷書は天下一品と称された。
又篆刻に巧みで日本国の国璽を作った。
文人墨客との交流の多い中、勝海舟・坂本龍馬らがやってくると世話し、龍馬の会社「亀山社中」は小曽根邸がアジトであった。
坂本龍馬の知恵を借り、勝海舟らが活躍してまとめた薩長同盟・大政奉還へと続く一連の流れのアイデアも乾堂が示唆したとも伝えられる。
ともあれ、長崎の一時期を風靡した隷書の小曽根乾堂の書家としてのその後は、乾堂(栄)─星海(晨太郎)─星堂(均二郎)─禾堂(均)─吉郎(星雲)と今日まで続いている。
この小曽根家の書画や小曽根家にゆかりのある勝海舟・坂本龍馬・祖門鉄翁ら長崎南画の三筆・利鴻章…などの書画を集めて幕末期を中心とする作品を鑑賞したい。
【主な展示品の作者】
勝海舟・坂本龍馬(複製)・小曽根乾堂・小曽根星海・小曽根星堂・小曽根禾堂・小曽根星雲・頼山陽・頼三樹三郎・渡辺清・渡辺昇・佐久間生山・伊藤博文・亀山焼・馬淵龍石・亀女 その他

[坂本龍馬・その刻と文化③]

坂本龍馬が雲仙の湯に入ったという◆
坂本龍馬が雲仙の湯に入ったという坂本龍馬(変名:才谷梅太郎)
天保6年(1936)~慶応3年(1867)
土佐生まれの幕末の日本の政治家・実業家
土佐藩脱藩後政治活動もする貿易会社「亀山社中・海援隊」を結成。
勝海舟と共に薩長同盟に尽力し、盟約成功へと展開した。
龍馬が初めて長崎に来たのは元治元年(1864)2月、勝海舟に同行し、神戸─大分─熊本─島原─合津─長崎と渡り、約40日間滞在する。
島原半島は「道甚だ悪し」─千々石横断のようだ。長崎海軍養成所の建て直しの為だったと言う。
帰途もほぼ同じような道を辿り、島原半島内は来た時とはやや北側を通って島原に入り、熊本へと帰って行った。
慶応2年(1866)、幕吏の襲撃で傷を負い、その治療の為に妻お龍と共に鹿児島に新婚旅行する。
その帰りに船で長崎に行き、小曽根邸に約8ヶ月滞在した。
この小曽根邸滞在中に、龍馬は小曽根英四郎(乾堂の弟)に同行し、長崎から小浜に船で渡り、翌朝雲仙に馬で登臨したと言う。
雲仙最初の浴場「延暦の湯」に入浴した。「いい湯だったぜよ…」(「お龍さんの長崎日和」小曽根育代著)