森の美術館in雲仙
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開催中の作品展情報
入館情報
大 人
300円
※但し雲仙よか湯へ
     ご来場者は無料
子 供
無料

開館時間
午前9時~午後7時まで
休館日
展示準備期間中

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▼2012年:
①長崎の南画家「木下逸雲」展(H24年1月29日~6月3日)
②長崎を通った中国「明・清」書画展(H24年7月29日~9月23日)
③近世長崎の南画家「小波魚青」とその一門展(H24年10月7日~12月24日)

特別展◆平成24年10月15日(月)~10月18日(木)
特別展幻の「木下逸雲」展

③近世長崎の南画家「小波魚青」とその一門展◆H24年10月7日~12月24日
③近世長崎の南画家「小波魚青」とその一門展
小波南洋魚青とその一門および交友の画人
京都四条派の小波魚青は、多くの門人を持つ。
よく知られた画家として小波魚江、萩原魚仙がいる。
他に表具師の高島直次郎星江(号魚雪)、高島星次青芳親子、鹿児島寄留時代の阪本宗助鶴城、岩戸神社の天井画を共に描いた青山、青阪、青光などが門人として名を連ねる。
また、交友があった画家として西村草文がいる。


小波魚青:こなみぎょせい(1844~1918)
長崎の郷土画家。
通称が南洋で実名は盛春。
魚青の他に月華、夏風庵、清風居、月柳など数号を持つ。
宇和島伊達藩主の側臣家に生まれる。
画の作法は円山応挙、呉春と続く京都四条派の流れで、梶谷南海、長谷川玉峰に師事する。
また、俳諧を当時第一人者であった東京の月之本(関)為山に学ぶ。
魚青は、京都、大阪、東京、近江、土佐などを歴遊し、鹿児島に寄留するなど九州をめぐった後長崎に居を定めて活動し、弟子を育てながら多くの作品を残す。

明治15年秋、39歳のときに、初めて行われた官設内国絵画共進会で1等賞を受賞するのを始めとして、各地の同共進会及び品評会に10回出品し、1等賞を含め8回受賞する。
明治24年5月にロシア皇太子、ギリシア国親王が来日した時、長崎県知事官邸で席画を行い、褒賞を受ける。
明治25年10月及び27年10月に日本美術協会出品の猿の絵が2度宮内庁に買い上げられる。

現存する代表的な作品に、長崎県美術館所蔵の楓鹿松鶴図屏風(六曲一双すなわち6つに折れる屏風2枚組)がある。
また当時、長崎市麹屋町で使用されて評判が高かった傘かさ鉾ほこの絵を担当し、同市内若宮神社内の岩戸神社の天井絵を弟子達とともに描画する。
長崎市諏訪神社所蔵の暁遠望景図は長崎くんちの祭で時折展示される。
大河平おおこびら屋敷絵図は宮崎県えびの市の有形文化財となっている。
長崎市伊良林52番地において75歳で没。


小波魚江:こなみぎょこう(1876~1940)
本名小波胤雄たねお。
魚青の長男として長崎に生れて、父に師事し、後に諫早に移住する。
作品には、「虎の図」、「軍鶏しゃも」といった四条派の特徴であり魚青も得意とした毛描きの花鳥画と、軽妙な線で描かれた僧の図などがある。
作品「鷲の絵」が魚青同様に宮内庁に買い上げられたと伝えられる。
東洋研美協会発行の「日本現代画伯名鑑」第10版(昭和5年)には、その特別大家席に名が挙げられている。
魚江は茶道、華道にも通じ、諫早高等女学校や長崎県立農学校などの式花を手掛けている。


萩原魚仙:はぎわらぎょせん(1873~1942)
長崎市丸山町で生まれ、四条派の小波魚青の指導で画家となる。
長崎くんちの傘鉾のさがり「さんごと魚譜」の絵は有名。
「今篭町崇福寺内に住み、特に鯛たいの絵に巧みであった。
万屋町吉宗よっそうの所蔵である魚づくしの絵は魚仙の傑作の一つである。
神戸で没。
大正元年から4年にかけて、グラバーの長男倉場富三郎が発行した魚譜「日本西部及び南部魚類図譜」を手がける。
これは、明治末から昭和初期の約20年間に、長崎在住の日本画家が描いた801(805とも)枚の絵からなる魚貝類図譜である。
魚仙はこのうち約200枚を担当する。
平成17年には長崎大学水産学部が監修してグラバー魚譜200選が刊行された。


西村草文:にしむらそうぶん(1869~1940)
本名久保くぼ 芳よし。
山口県玖珂くが郡愛宕町に生まれる。
博多市の住職西村氏の婿養子となり、以来、画号を草文とする。
日本画を四条派の流れを汲む谷 文晁の筆意に感じ、後に久保田米僊に師事する。
後、能楽画を志して全国各地を遍歴しながら梅若派など各派に学び、大正10年以降長崎に定住する。
堂号を三星館と称する。
軽妙な筆勢で柔らかさ・堅さ・鋭さを表現する。
また,書と一体となったスピードとリズム感は水墨画をはじめ,作品の随所に表れている。
構図は黄金分割をとり空間の美は,絵のもつ深みや広がりを表現している。
鹿児島県姶良あいら市北山には、草文の作品を中心に収めた平成10年創設の草文館がある。
魚青と交友があった。


森の美術館in雲仙 雲仙よか湯併設
長崎県雲仙市小浜町雲仙380
TEL 0957(73)3482
※資料は小波盛佳著「画人小波南洋魚青」刊行予定本より抜粋

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②長崎を通った中国「明・清」書画展◆H24.7.29(日)~9.23(日)
②長崎を通った中国「明・清」書画展近世の長崎は、鎖国時代に外国に解放された唯一の港だった事もあり、江戸時代に外国の影響を受け、美術工芸史上隆盛を極め、長崎絵画として発展しました。

その結果、いろんな形式の絵画の様式が試みられ、日本文化の最先端の地となりました。

ポルトガル、スペインによる南蛮絵や、オランダ人によるオランダ絵画、それに最も長い期間影響を受けた中国明・清の中国絵(唐絵)がそれである。

殊に、中国より渡来した絵画より受けた影響は大きく、まず黄檗宗が入ってきて、隠元、木庵即非らの書や逸年らの北画が長崎絵画の中心となるまで発展し、渡辺、広渡、荒木、石崎の各家は唐絵見利として活躍した。

この北画に対し、同様に、中国南画も伊孚九、江家圃、陳逸舟らの多くの来舶明清の人達により紹介され、初め北画を学んでいた長崎の絵画界、とりわけ木下逸雲、日高鉄翁、三浦梧門は江芸閣、江稼圃が来日するやこれに師事し、南画を学ぶ人たちが増え長崎南画界は目立つ存在となり、多くの人たちが長崎へ、長崎へと勉学に訪れたのである。

今回は、長崎絵画界のみならず、日本に影響を与えた中国明時代・清時代の来舶の人達を紹介すべく企画いたしました。

これらの来舶の方々の資料が十分に得ることが難しく、資料不足な事は御詫び申し上げます。

» ページ①

» 長崎を通った中国「明・清」書画展に孟涵九の絵柄と賛が同じ作品が4点揃っています。

①長崎の南画家「木下逸雲」展◆H24年1月29日(日)~6月3日(日)
①長崎の南画家「木下逸雲」展長崎に南宋画が本格的に入り普及したのは、1720年頃からと云われています。
木下逸雲・日高鉄翁・三浦梧門(幕末明治の長崎三大南画家といわれる)らが、江稼圃・江芸閣の渡来により それまでの漢画系の絵から水墨を主体とした南宋画に影響をうけ、南宋画が長崎より全国に普及発展した。
木下逸雲は幕末明治の画家ですが、元々長崎八幡町の乙名を務める家柄で、兄を継いで乙名を務めた。
文政12年(1829)にその役を兄の子に譲り、自身は元来医師を生業とし、傍ら画を本格的に始めた。
はじめ、唐絵目利の石崎融思に学び、次に来舶清人の江稼圃 ・江芸閣から南宋画を学んだ。
江稼圃から南画を学び始めて、画業は一変したと言われるが、それ以前の享保ごろ来舶した伊孚九や、天明頃からの来舶清人張秋谷(水墨画を能くした)の影響も感じられる。
その後、長崎には来舶清人の陳逸舟、徐雨亭、王克三らがやってきて、逸雲をはじめとする長崎南画もこれらの影響を受けさらに発展した。
逸雲は南画で大成したが、狩野派や大和絵、四条派も取り入れ、画法を熱心に研究取入れた。
逸雲は多芸で、書・篆刻・琵琶の演奏・煎茶・和歌・亀山焼の絵付けなど多くの趣味文化のリーダー的存在であった。
今回、「長崎の文化の奥を楽しもう」と企画した。
逸雲の作品展はいろいろ企画されて行われてきたが、長崎南画の「水墨・淡彩・色彩・極色彩」の色の比較をしながら鑑賞して欲しい。
又、逸雲が篆刻をかなりおこなっているので、その多様な「印」の風景を楽しんで戴きたいと企画致しました。
展示の後半には、この企画の小冊子も作りたいと計画しています。

木下逸雲の要旨
 生れ・没年   寛政12年8月1日(1800年9月19日)~慶応2年8月4日(1866年9月12日)
 通称      志賀之助(介) 弥四郎
 名       相宰
 字       公宰
 号       逸雲 物々子 養竹山人 荷花深処(處) 如螺山人 逸雲山人
 室号      養竹山房 荷香深處 
 諱       隆賢
 医門名     得生堂