森の美術館in雲仙
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開催中の作品展情報
入館情報
大 人
300円
※但し雲仙よか湯へ
     ご来場者は無料
子 供
無料

開館時間
午前9時~午後7時まで
休館日
展示準備期間中

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▼2013年:
① 長崎の南画家 「三浦梧門とその一門」展(H25年1月20日~6月2日)
② 江戸の書 江戸の絵(H25年7月28日~9月29日)
③ 雲仙を愛した文人達 100人展(H25年10月27日~12月22日)

③ 雲仙を愛した文人達 100人展◆H25年10月27日(日)~12月22日(日)
③ 雲仙を愛した文人達 100人展雲仙の名は「高来の峰」として和同6年天明天皇の時代に書かれた「肥前風土記」の中に現われその後 真言密教の名僧「行基」により開山され 山号を 温泉山としたことから、以来昭和の初期まで温泉(うんぜん)と呼ばれてきました。
承応2年(1653)湯守りが置かれ、雲仙に住民が住むようになってから、恵まれた温泉と「天下に比類なき・・・」と詠われた風光明媚な雲仙には多くの文人墨客が慕い、訪れ山岳の美を愛でて、自然と温泉の親しみながら 雲仙を謳い描いて多くの作品群の中に雲仙が取り入れて来ました。
江戸時代は 日本山霊峰温泉(うんぜん) として頼山陽 草場佩川 田能村竹田 らが漢詩に 絵に雲仙を謳い描いてきました。
昭和に入って日本最初の国立公園に選定されてからは、多くの文人らが雲仙めがけて来ました。
中林梧竹 吉井勇 青木月斗 河東碧梧桐 高浜虚子 徳富蘇峰 北原白秋 野口雨情 らが多くの作品を残しています。
こうした文化の導入もあり また島原藩の影響も大きく 雲仙島原付近に多くの書画 陶芸などの文化が残されました。
こうした人たちの中より雲仙を愛し 好んで作品を残した人達100人を取り上げ その作品群を鑑賞したいと企画いたしました。
100人の選定をするのは私には荷が重く できるかどうか解りませんが 多くの知恵を拝借しながら行ってみたいと企画しました。 
皆様に、追加排除などしていただき 後世に、よりよきものが出来れば その礎にして戴きたいと思います。

② 江戸の書 江戸の絵◆H25年7月28日(日)~9月29日(日)
② 江戸の書 江戸の絵日本に書が中国から伝来したのは西暦285年と言われる。絵画の伝来もその頃と思われるが、おそらく仏教伝来などに伴って中国より入ってきた可能性が高い。
後世になっても、仏教の伝来、キリスト教、黄檗宗の伝来時にも書・絵画の伝来影響が大きかった。
今回、表題につけた 「江戸の書 江戸の絵」は広い意味では漠然過ぎて内容がはっきりとは判明しがたい。
当館で扱える範囲の江戸の書画展はあくまで、この近郊の 長崎の 島原雲仙の範囲である。 主として長崎・島原に関わった作者・作品群となります。
たとえば、鎖国時代日本に入ってくる文化はほぼ全部長崎を通って入ってきました。
中国より来舶した明・清の文人達は日本に多くの書画・文化・生活様式をもたらしました。
沈南蘋 伊孚九 江稼圃 江云閣 程赤城 陳逸舟 費漢源 張秋谷 徐雨亭 方西園 張子祥 華昆田 王克三 等々これらの人達が日本に与えた影響は非常に大きい。
また、影響をうけた日本の書家 画家の作品群を見るのも楽しいと思います。
長崎南画家の三筆といわれた木下逸雲 日高鉄翁 三浦梧門とその門下生の人達は来舶清人たちの影響を受けています。
又 長崎に文化が入ってくると、その文化を見よう 勉強しようと 全国から多くの文人学者らが長崎に来ました。この人たちの作品群も多く長崎に残っています。
田能村竹田 谷文晁 亀田鵬斎 頼山陽 高橋泥舟 勝海舟 山岡鉄舟 建部凌隊岱 大田蜀山人らも長崎に大きな足跡を残しています。
黄檗宗も長崎を通って京都に上りました。黄檗文化は長崎では避けて語れません。隠元 木庵 即非 黄檗三筆他作品群を楽しみたいと思います。
このほか、長崎以外でも諫早島原にも歴史が残っています。当然この関係の書画も見たと思います。

① 長崎の南画家 「三浦梧門とその一門」展◆H25年1月20日(日)~6月2日(日)
① 長崎の南画家 「三浦梧門とその一門」展
三浦梧門とその一門展開催中
5/6までは、三浦梧門(長崎幕末の南画家)のみの展示会になります。
三浦梧門だけを集めた展示会は珍しい企画です。

近世の長崎は、鎖国時代外国に解放された唯一の港だった事もあり、江戸時代に外国の影響を受けた。長崎南画もこのように中国文人画の影響で発展の道をたどってきた。
伊孚九、張秋谷等は18世紀中頃に来日し日本の画壇に影響を与えている。しかし長崎南画が急速に発展したのは、19世紀初め文化文政頃、江芸閣・江稼圃兄弟が来日し中国南宋画を長崎に紹介し教えたことに始まる。
それまで長崎は唐絵が主流であった。江稼圃の画風に木下逸雲、日高鉄翁、三浦梧門もこの南宋画に入門し、急速に長崎南画は大きく発展した。
木下逸雲、日高鉄翁、三浦梧門は後に長崎南画三筆と呼ばれるようになったが、多くの弟子たちに画法を伝えた。昨H24年この内の木下逸雲を企画したので、H25年度は三浦梧門展を企画した。

三浦梧門
文化五年(1808)~万延元年(1861) 53歳の若さで没 諱は惟純、字は宗亮、梧門と号す。
別号に秋声荷梁、香雨など。居を秋声館、香雨楼という。本興善町乙名となり長崎会所目付となる。
幼児より絵事を好み8歳の時、善く馬を画いたという。渡辺鶴洲、石崎融思に師事し画法を学び、花卉翎毛山水人物を能くす。
江稼圃等の来舶清人に唐土名家の画蹟を倣い、最も米法山水に長ず。
鉄翁、逸雲と併せて長崎南宋画の三筆と称される。
また、土佐風の絵や肖像画にも長ず。 梧門はひとり清朝の画家だけでなく、元・明緒大家の画法を研究し、南宋画だけでなく鶴洲の影響の北宋画風の作品も多い。又、土佐風の作品や大和絵(狩野 土佐 住吉 浮世絵等)にも興味を持ち、作品の随所にその雰囲気を留めている。
邸内に梧桐樹(あおぎり)があり、これを愛で「梧門」と号した。門人に伊東深江、内藤雨江などがいる。