雲仙を愛した古今の人達  霊峰雲仙に往来した人たちの作品展
森の美術館in雲仙 平成23.7.24〜9.25
1 中林梧竹 大正2没 87歳 名 隆経 字 子達、小城出身で家は代々鍋島藩に仕えた。珮川、山内香雪、
    1913-1867 米庵に学び中国に遊学し秦漢六朝の古法を学ぶ。長洲、巖谷一六、
      日下部鳴鶴と共に明治の4大書家と云われた。長崎にも遊学し、珮川の兄弟弟子
      本多西男(小浜・湯元)宅を再三訪問し、雲仙にも数度登臨した。
      白雲の池横の「仙山荘」に泊まる。小浜にも書跡が多く残っている。
2 草場珮川 天明7−慶応3 鍋島藩士で古賀精里に儒学を学び、画は江越繍浦に学ぶ。文化5年23歳の時
    1787-1867 長崎に来た外数度末崎し雲仙岳をよんだ漢詩が残っている。
3 頼山陽 安永9-天保3 名は譲(ノボル)、字子成、別号三十六峰外史。広島藩儒春水の子で頼杏坪、
    1780-1832 尾藤二洲、菅茶山に学んだ江戸後期の儒学者、漢詩人。
      長崎にも遊学し文政元年(1818)39才の時網場より天草をへて熊本へ行く途中
      嵐に遭い千々石に漂着した。「雲耶山耶呉耶越水点髣髴青一髪」で始まる天草
      洋に泊すの書が雲仙観光ホテルで見ることが出来ます。
4 岡田篁所 明36没 84歳 長崎の儒医 詩文・書にたくみなり。雲仙を詠じた漢詩を多く残している。
    1903  
5 田近竹邨 大正11没 59歳 大分直入郡竹田村出身。直入に学び大阪で活躍した南画家。
    1922 長崎に度々来遊し多くの書画を残している。「雲仙墨江」等の作品がある。
6 頼 山陽 安永9-天保3 名は譲(ノボル)、字子成、別号三十六峰外史。広島藩儒春水の子で頼杏坪、
    1780-1832 尾藤二洲、菅茶山に学んだ江戸後期の儒学者、漢詩人。
      長崎にも遊学し文政元年(1818)39才の時網場より天草をへて熊本へ行く途中
      嵐に遭い千々石に漂着した。「雲耶山耶呉耶越水点髣髴青一髪」で始まる天草
      洋に泊すの書が雲仙観光ホテルで見ることが出来ます。
7 日高鉄翁 明4没 81歳 長崎臨済宗春徳寺の住職。師石崎融思・清人江稼圃
    1871 長崎三大南画家で詩文にもすぐれる。水墨画で温泉山を描いている。
8 木下逸雲 慶応2没 68歳 別号 養竹山房等、名は相宰、公宰、師は石崎融思、清人江稼圃、長崎三大南
    1866 画家の一人。霊山温泉を愛し「雲仙の夜景」などの水墨画を残す。
9 三浦梧門 万延元年没 53歳 別号 秋声。長崎奉行所の目付役の侍で、渡辺鶴洲の門人、清人江稼圃にも師
    1860 事。逸雲、鉄翁と共に長崎三大南画家と称された。
10 中島廣足 寛政4−元治元 熊本藩士で国学者。30才の時長崎に移居。近藤光輔、青木永章と共に長崎三
    1792-1864 大歌人と云われた。雲仙の和歌を詠じている。
11 河上鶴立 文政10-明治32 天草西方寺の生まれ。平戸石嵒(光明寺)に漢学・仏画を習い、南画を清人玉名
      谷に習う。山水 梅林の画を多く描く。南串山楽常寺とは婚姻関係にあり、雲仙に
      も知人があり島原南高にも多くの絵が見られる。
12 河上鴻立 明2-昭和32 鶴立の子。名は高立、父に学び支那に渡り画枝を習得す。南高に親戚があること
      から島原半島内にも多く見られ、雲仙にも知人があり画を残している。特に梅林の
      こまやかな表現がすばらしい。
13 種田山頭火 明15-昭和15 明治、大正、昭和期の俳人 萩原井泉水に師事した。一笠一杖の乞食行脚で各
    1882-1940 地を遍歴した。島原半島にも雲仙岳を仰ぎながら小浜-加津佐-島原と遍歴し、
      多くの句を残す。
14 河東碧梧堂 明6-昭和12 明治25年頃から子規・虚子らと俳諧の革新運動を起す。
    1873-1937 中国6朝風の書法をよくする書家でもある。
      昭和5年11月島原経由で来雲。有明ホテルに宿泊しここに句や書を残している。
15 青木月斗 明12−昭和24 明治-昭和期の俳人、子規の影響をうける。ホトトギス流俳人として大阪俳壇確立
    1879-1949 に貢献。碧梧堂とは義兄弟に当り一緒に雲仙に来訪し、有明ホテルに宿泊して
      いる。(昭5.11月)
16 吉田松陰 天保1ー安政6 幕末期の勤王派志士;思想家、教育者。嘉永3年(1850)12月7日「一老翁を伴い、
    1830-1859 島原より温泉岳に登る。登れば寒気十倍し雪花降りつ。寺があって一乗院という。
      小地獄に至って、赤松屋(現在の丸登屋)に至って入浴休憩す。この地は多く氷
      豆腐を造っている。」 結局松陰は日帰りで島原に降りた。 
17 青木月斗 明12−昭和24 明治-昭和期の俳人、子規の影響をうける。ホトトギス流俳人として大阪俳壇確立
    1879-1949 に貢献。碧梧堂とは義兄弟に当り一緒に雲仙に来訪し、有明ホテルに宿泊して
      いる。(昭5.11月)
18 松崎夘一 明28生 福岡八女生まれの洋画家。坂本繁次郎に師事。昭和20年長崎洋画家クラブ結
      成。県展初の審査員。油彩画の外版画を政策。「雲仙の四季」等がある。
19 谷 文晁 宝暦13-天保11 江戸後期の文人画家 初号文朝 初め狩野画を学び後に雲泉、 清人
    1763-1840  張秋谷あるいは司馬江漢の洋画法まで筆法を学び、江戸一の大家までなった
       橋本喜蔵著「雲仙大観」の裏表紙となった「雲仙岳」を描いた他、
      しばしば長崎に遊学し学んだ
20 出生大璧(壁) 昭28没 91歳 別号 太白山樵 宮城県人東京に住す。師山内耕煙、洋画を小山正太郎に学
      ぶ。雲仙普賢岳に登り「雲仙大観」図を描く。
21 吉井 勇       -昭和35 大正、昭和期の歌人。明治43年(1910)新詩社に参加し、当時の歌壇に異彩を
    1886-1960 放った。昭和4年4月雲仙の憧憬者だった勇は雲仙普賢岳に登山し、
      湯元旅館に宿泊し雲仙の句を多く残した。
22 小杉放庵 明14-昭和39 洋画家・日本画家、小山正太郎に師事。大正11年梅原龍三郎・岸田劉生らと春
    1891-1963 陽会を起した。昭和11年帝国美術院会員に推され、日本画も描いた。出光美術
      館に雲仙ゴルフ場を描いた絵がある。
23 高浜虚子 昭和30没 85歳 伊予松山藩士・子規の個人。雑誌ホトトギスを主幹。旧派の俳句を主張し、風月
    1959 を諷詠するのを旨とした。
      雲仙を愛し、多くの雲仙の句を詠じている。湯元旅館宿泊
      「妙見も普賢も仁田も紅葉かな」
24 川瀬巴水 昭32没 75歳 川瀬文治郎 川端王章・荒木寛方に師事す。さらに摘木清方の内に入った
    1957 版画家。「雲仙四季図」の版画あり。
25 川村驥山 明治15−昭和44 静岡生まれ・明治昭和期の書家・漢学者の父川村東江に学び、書は大田竹城
      に学ぶ・彼の書は中国の書法を淵源とし草書狂書の境地を開拓した・
    1882-1926 小浜本多家を経由して雲仙に登り漢詩を残す・本名慎一郎、別号酔仏居士等
26 江川碧潭 明26-昭和48 堂崎村生まれの僧侶で書家。師 春海 菖道宗大学の講師を経て日展参与の
      書家となる。湯元旅館加莉家とは親戚に当りたびたび来雲し、
      同所に多くの書を残している。
27 徳富蘚峰 昭32没 95歳 熊本出身。明治-昭和期の評論家。新島襄に指示する。新聞を発刊したり、貴
    1957 族院議員を勤めた。昭和40年5月30日島原より雲仙に着き有明ホテルに枝宿
      した。翌31日普賢岳に登った。
28 高田力蔵 明治33-平成4 福岡出身の洋画家 師石井柏亭 日本水彩画会会員 新美術家協会創立会員
    1900-1992 九州の山々の風景画が多い 雲仙にも来訪され雲仙の山の絵がある
29 富田渓仙 明治12-昭和11 福岡博多出身の日本画家 文展・院展入選 僧仙香A大雅、蕪村等に傾注し研究す
    1879-1936 各地を旅して写生や古仏画の模写をする 雲仙も訪れ作品を残す
30 李 方子   李王世子殿下{李王 垠1897-1970}の妻 皇族梨本宮守正王と旧鍋島藩直大侯爵の
      次女伊都子との次女で大正9年に政略結婚された 日本画家で作品多い
    1901-1989 李王世子は大正15年1月12日佐賀より諌早経由で雲仙九州ホテルに宿泊 小曾根均
      倉場富三郎等と雲仙ゴルフ場でプレーした
31 湊 汲古 明2-昭和20 島原生まれ。天草の鶴立に南画を学ぶ。朝鮮美術協会を設けて貢献した。
      長崎、福岡で個人達を指導した。四君子・雪景米法山水を得意とした雲仙を
      描いた南画があり、佐世保の西蓮寺に「稚児落しの滝」図の大幅が残る。
32 西村神草 明33 -昭和51 大村生まれ。号を神草後神祥とする。島原で結婚。小林観爾・今坂雪光の指
    75歳 導を受ける。題材に雲仙の風景・花鳥画が多く見られる。雪光と一緒に普賢岳
      冬山を描いた作品がある。
33 今坂雪光 明32-昭和63 島原今坂染物店に生まれ、小林観爾に師事、川北温山に本格的に日本画を
    88歳 学び長崎で雪光塾を開き後進の教育にもつとめた。
      雲仙、特に普賢岳風景の作品が多く残る。
34 田川 憲 明39-昭和42 長崎最初の創作版画家。日本版画協会会員。雲仙の風景、キリシタン関係、
    1906-1967 長崎市内風景等の版画が数多くある。
35 青山龍水 明38−平成 洋画家・二科会常任理事。口之津出身。海と少女等風景の中に人物を配した
    1905- 現代感覚みなぎる具象絵画を描く。
      雲仙に姉がいて雲仙にも度々来訪し雲仙の山の絵がある。
36 今村紫水 ?昭和前期 詳細不明 戦前内長商店(当時食堂・宿経営)に逗留された折にお礼に雲仙
    戦前頃 風景を描いて額装の上進呈された作品がある。現在内長せんぺい店に贈呈され
      保管中。どなたかこの作品についてご存知の方いらっしゃいませんか?
37 北村西望 明治17−昭和62 南有馬生まれ。東京美大卒。文展・日展・日本彫塑会名誉会長。長崎の「平和
    1884-1987 祈念像」の製作者として有名。
38 本多牧仙 昭和7没 本多親基 小浜村庄屋12世 牧仙は明治35年小浜で陶磁器の製作を始めた
      師として馬渕龍石や有田の橋口三次郎が招かれた 火鉢、茶碗、茶器、皿が主で
      磁器製もあった 雲仙小地獄の共同浴場建築を計画、自分の窯でタイル、レンガ、
      瓦、脱衣籠をすべて焼き建築完成させた
39 繁田百鹽斎 昭和33没 岩手県繁田園と云う茶園の棟梁を勤めた人で茶道を嗜み教えた 昭和10-12年頃
      小浜の岩見屋で窯を起し焼物を始めた 昭和24-25年頃九州ホテル横で窯を造り
      牧仙の後を守った 昭和28年病気の為離仙、昭和33年東京で死去 離仙にあたり
      石川靖峰氏が引継ぎ、旅館の売店の品も引き継がれたと言う
40 石川靖峰 平成5没 靖峰は由緒ある雲仙焼(温泉焼)の復活を志し、昭和25年頃より研究を重ね、昭和
      35年正月自宅横に工場を建て耐火レンガで窯を作り試作に成功、7月最初の窯開き
      を行う 最初陶土は絹笠山、地獄一帯の土、灰と全部雲仙のものが使われ、茶器
      壷、花瓶等気品漂う作品に魅せられた人は多い
41 矢野鉄山 明治27-昭和50 叔父、矢野橋村の大阪美術学校に入学 大正9年より帝展入選重ねる 文展
    1894-1975 日展の審査員となり 日本水墨画協会を設立 師小室翠雲 雲仙を訪れ
      雲仙の山の画を残す
42 林 崢明 現在 1958年中国海南省生れ 師黎雄才、揚之光 中国広州水墨画研究会理事等要職
      歴任 1987年来日 東京都で画塾、水墨画展示館を開き活躍、今中国で活動中
43 松原松山 明治34-平成4 雲仙別所に居住し昭和43年頃より書道に専念する 温泉神社や雲仙公園
      事務所等に、書が残っている
44 風木雲太郎 大正2−平成19 長崎の詩人 九州詩人賞等を受ける 雲仙ゴルフ場内、西岡水朗「雲仙音頭」歌碑の
    1913-2007 除幕式で西岡水朗を称える詩を朗読し歌碑の「雲仙音頭」の書を書く
45 小崎 侃 現在 長崎で活躍中の画家・版画家 山頭火シリーズ、長崎シリーズ、雲仙シリーズなどの
      版画を多く世に出している
46 高田力蔵 明治33-平成4 福岡出身の洋画家 師石井柏亭 日本水彩画会会員 新美術家協会創立会員
    1900-1992 九州の山々の風景画が多い 雲仙にも来訪され雲仙の山の絵がある
47 小杉放庵 明14-昭和39 洋画家・日本画家、小山正太郎に師事。大正11年梅原龍三郎・岸田劉生らと春
    1891-1963 陽会を起した。昭和11年帝国美術院会員に推され、日本画も描いた。出光美術
      館に雲仙ゴルフ場を描いた絵がある。
48 梶原緋佐子 明治28-昭和63 大正、昭和期の日本画家 菊池契月門下 木谷千種・和気春光と共に、菊池
    1896-1988 塾の三閨秀といわれ 師の死後は白申会に属した 昭和22年日展特選
      舞奴や芸奴をテーマにした作品多い 雲仙に上り宿の画帳に足跡残す
49 牧野敏太郎 文久元年−昭和12 教職の傍ら神谷紫水、田部井竹香に南画を習い、竹亭と称した 大正13年
  竹亭 1861-1937 63歳で家督を譲り子息の暮らす長崎に転居した 南画と漢詩に没頭し九州
    75歳 一円を周遊した 大作の「雲仙の放牧」が残り洋画と南画の技法が生かされた独特の画である 
50 飛田周山 明治10−昭和20 名は正雄 号は對月居 茨城生まれ 久保田米遷に入門 後に竹内
    1877-1945 栖鳳に学ぶ 橋本雅邦にも学ぶ 文展、帝展に入選し審査員も勤めた
      この画は昭和6年飛田に案内で雲仙高岩嶽を当時の有能日本画家12名
      で訪れ 飛田が描いたもの
51 僧 空照 大正昭和 大正11年島原大変の時南有馬では龍泉寺の裏の麦畑に避難し、その時
      豊作であった 病気を霊験で治すと言う雲仙の真言宗の僧空照に頼んで
      町内と高岩さんを霊地の中心として八十八箇所巡りを設定した 他方
      雲仙池之原にも空照さん出身地の佐賀の方々が 普賢登山道1合目
      〜5合目まで弘法大師像(お地蔵様)を祭られて今日に至っている
52 火野葦平 明治40-昭和35 昭和期の小説家 本名玉井勝則 福岡出身 日中戦争の出征前に
    1907-1960 書いた「糞尿潭」で芥川賞受賞 戦後若松の「河伯洞」と東京の「鈍魚庵」
      で活躍 多くの文学作品を残す 雲仙でも足跡が窺える
53 野口雨情 明治15−昭和20 童話民謡作詞家 茨城県出身 早稲田大学では坪内逍遥に学ぶが
    1882-1945 1年余で中退 詩作を始める 三木露風、相馬御風らと早稲田詩社
      を結成 その後新聞記者になり石川啄木と交友関係を結んだ 日本各地で民謡を作り
      多くの作品を残す 雲仙でも和歌を残している
54 田山方南 明治36-昭和55 三重県出身 東京帝大卒 本名信郎 昭和4年文部省に入り国宝鑑査官
    1903-1980 文化財調査官を歴任 日本中国の禅僧の墨蹟研究で知られる
      バスで雲仙に来られた風景が謳われている
55 田崎広助 明治31-昭和59 洋画家 福岡八女出身 坂本繁二郎に師事 二科出品後1932年
    1898-1984 渡仏 日展審査員、評議員、理事歴任 文化勲章受賞 山を題材とした
      作品多い 特に阿蘇の作品が多い 雲仙の山も描いている
56 西山英雄 明治44-昭和64 京都出身の日本画家 日本芸術院会員 日本画家の西山翠璋は叔父
    1911-1989 昭和35年「雲仙天草国立公園」の画を描く 東山魁夷と「版画国立公園集」を
      発行 本展示品も版画の「雲仙」である
57 高浜年尾 明治33−昭和54 大正,昭和期の俳人 虚子の長男 父の指導で俳句に専念 昭和13
    1900-1979 年から「俳諧」を主宰 父より「ホトトギス」を引き継ぎだ
      「温泉のほとりにも雲仙のつつじ燃ゆ」
58 本多西男 弘化4−昭和9 小浜本多家第九代(湯太夫十世)当主。元々本多家は島原の乱の時
  (井華道人) 1847-1934 小浜村の庄屋を命じられた 本多西男は事業意欲が旺盛で鉄道 製塩
      、浴場 灌漑 観光と多彩であった 欧州旅行で温泉を入れてつくる菓子を
      まねて「温泉せんぺい」を考案した 雲仙では牧場・治水・浴場・林業を
      発展させた 小浜焼きを牧仙に雲仙で焼かせたのも西男のアイディアであった
59 中島広足  寛政4〜元治元年 幕末の国学者、歌人 初名は春臣、のち広足また弘足と改める 橿園と号し
    1792-1864 黄口、鮭麿と号した 肥後細川氏に仕え長瀬眞幸に国学を学んだ  長崎に 
      永く住し、諏訪神社に奉職し長崎の歌人文人に与えた影響は大きい
      最後は文久元年藩侯の招に応じて熊本に帰り国学師範となった
60 平山盧江 明治15−昭和28 神戸生まれで長崎の酒店平山家で成長。新聞記者の後、作家となり
    (1882-1953) 大正昭和期に活躍。「長崎の出島」「ひだり棲」等がある。
61 池田 遥邨   岡山県出身 明44(1911)松原三五郎の天彩画塾に入る 大正3文展で
    1895-1988 初入選 のち日本画に転向 竹内栖鳳に学び帝展で活躍する
      山頭火の歌を題材に多くの作品を残す 文化勲章を受章
62 吉田初三郎 明治17-昭和30 大正、昭和期に活躍した鳥瞰図の絵師 障害3000点以上の鳥瞰図を作成
    1884-1955 大正の広重といわれた 「対象名所図絵社」を設立し自治体、新聞社
      から鳥瞰図を依頼され作成した 雲仙の鳥瞰図も初三郎の作で、」雲仙の
      宿で「たまにあふのに」と題した美人画をのこいている
63 釧雲泉 文化8没 53歳 千々石出身の南画家。清人張秋谷に元明の筆意を学ぶ。越後出雲崎で客死。
    1811 明和7年(1770)11才の時、文平(雲泉)は雲仙の寺一乗院に小僧として登った。
      雲仙での雲泉の資料は全くないが、「庭掃除の時等はいつもホウキで庭に絵を
      描いて遊ぶのが常であった」 との逸話が残っている
64 本多牧仙 昭和7没 本多親基 小浜村庄屋12世 牧仙は明治35年小浜で陶磁器の製作を始めた
      師として馬渕龍石や有田の橋口三次郎が招かれた 火鉢、茶碗、茶器、皿が主で
      磁器製もあった 雲仙小地獄の共同浴場建築を計画、自分の窯でタイル、レンガ、
      瓦、脱衣籠をすべて焼き建築完成させた
65 竹久夢二 明治17-昭和9 本名竹久茂次郎 大正期に活躍した画家詩人 大正ロマンを代表する数多くの
    1884-1934 美人画を残している 雲仙にも訪れ温泉ホテル(島原中村房一氏経営)の別荘
      通称バンガローに宿泊、特異の写真も霧で雲仙の風景も残らなかった
66 金子三澤 嘉永6−昭和8 島原市有明町三澤村庄屋の出身 教職についた後若くして書道に専念 大宰府の
    1853- 書家宮小路浩潮に入門修業する 大正10年島原に移住し生涯書道に励んだ
      生来潔癖で名利を嫌い交友も少なく余り知られていないが師浩潮の作風に似て
      力強い行書が多くみられる
67 宮小路浩潮 文久9-明治37 金子三澤の師 福岡中牟田邨に医師森下春台の長男として生まれ、12歳で大宰府
      六度寺に入り後住職となる 明治維新後は環俗し菅聖廟の社職となり宮小路康文と
      称し浩潮と号した 翁人となり大宰府に住し書道に専念し晋・唐の法帖に遡り
      暑を極め道真公の書論を読み残した 浩潮の筆法を学び入門する人千人を数えた
      長崎市内からも書跡が多く見られるが雲仙の宿でも書を残している
68 菊池幽芳 明治3-昭和22 本名清 日本の小説家(明治−大正) 大阪毎日新聞社に入る 自社の新聞に連載
    1870-1947 し、家庭小説の形式を確立した 雲仙にも来訪した形跡が窺える
69 田中田士英 明治8−昭和18 俳人 長崎生まれ 本名英二 明治大正昭和にわたる長崎俳諧を指導した
    1875-1943 俳誌「太白」の主催者で全国的にも有名な俳句作家である