長崎ナガサキトオった中国チュウゴクミン ・ シン書画ショガテン  H24.7.29(ニチ)〜9.23(ニチモリ美術館ビジュツカンin雲仙ウンゼン
作者名サクシャメイ 時代ジダイ年号ネンゴウ テキ   ヨウ   ・    カイ   セツ
1  カンゲン 寛政カンセイマエゴロボツ 浙江省セッコウショウコウヒト 享保キョウホ19ネン(1734)ハジめて長崎ナガサキ来航ライコウ 元文ゲンブンネン(1737)
    (1793マエコロ) には南京ナンキンセンシュとして渡来トライ 宝暦ホウレキネン(1756)までに数回スウカイ来日ライニチした。
      カンゲン建部タテベアヤソクジャクヨロコ衛門エモントウツウヨウフジ(1728-97)に画法ガホウ
      オシえた。 ウジ ラン アザカンゲンチョウタニヒト ゴウコウゼン
2  セイ 嘉永カエイ6,7ネンコロ ウジ ハジメヨウ アザテンセイゴウした コウカスミ使者シシャコウ山人サンジン
    ボツ(1853,4) 苕渓隠者などとショウした。安永アンエイ年間ネンカン中頃ナカゴロから長崎ナガサキ渡来トライし、天明テンメイネンから
      寛政8年まではほぼ、毎年マイトシ船主センシュとして来日ライニチしていた。 山水画サンスイガ得意トクイとし、
      春木南湖、十時トトキバイガイ山川ヤマカワボク伊豆イズハラアサなどに画法ガホウオシえた
3 チン イツシュウ ?〜1832〜 イミナ アザゲン イツシュウ 鸚鵡オウムシュウゴウす 中国チュウゴク浙江省セッコウショウヒト文政ブンセイ10ネン
    1850〜 (1827)ハツ来日ライニチ以後イゴ12-13カイ来日ライニチしている模様モヨウ バイなどオウキジ、 
      王原祁ナド画風ガフウぐ 上品ジョウヒン山水サンスイ来舶ライハク清人シンジンナカでも
      本格的画技をオサめた清人シンジンえる。鉄翁テツオウとの交友コウユウツウ長崎ナガサキ文人ブンジンとの
      交流も覗える。イツシュウ長子チョウシチンイツラン長崎ナガサキ来日ライニチ数年スウネン滞在タイザイした
4 オウ コクサン 道光ドウコウネンまれ 浙江省セッコウショウヘイケンサクヒト シュンメイ アザ克三コクサン ゴウバイセンドウタイ 文久ブンキュウネン 
    (1822) ランけて長崎ナガサキ妻子サイシ来航ライコウ バイ生計セイケイ谷口タニグチランデン逸雲イツウン鉄翁テツオウ
      湘颿、岡田コウ所らと交遊コウユウした 動乱ドウランドウネン(1865)帰国キコク ボクウメ有名ユウメイ
5 ジョ テイ 道光ドウコウ4ネンまれ 浙江省平湖縣乍浦の人 ハツショウのちヨウ アザテイ ザンキコリジャ  
    (1842) 水墨山水を得意とした ゲンホウ11ネン(1861)ラン家族カゾク長崎ナガサキ来航ライコウ
      売画で生計を立てる。谷口タニグチランデン逸雲イツウン鉄翁テツオウ山田ヤマダバイソン村田ムラタカオリコク
      等と交遊す。慶応3年帰国 帰国後キコクゴもなくヤマイくなった
6  キュウ 1720年頃ネンゴロ カイ キュウアザ シン、莘野コウ メグルカワナリドウ雲水ウンスイジンナドゴウあり
    康熙コウキ37・1698 江蘇省コウソショウケンヒト チチ兄弟キョウダイ二人フタリ貿易ボウエキ渡来トライした模様モヨウ 最初サイショ長崎ナガサキ来航ライコウ
      享保キョウホ5ネン(1720)でエンキョウ4(1747)までの28ネンに7カイ確認カクニンされている。その
      1〜2カイ来航ライコウ可能性カノウセイがある。イケダイ(1723-1776)野呂ノロカイセキ(1747-1828)
      影響エイキョウアタえ、以後イゴ日本ニホン南画ナンガオオきな影響エイキョウノコした。
7  ヨウウン 享保キョウホ10・1725 李 用雲にボクタケキュウ山水サンスイトモ有名ユウメイアザダイアガルゴウズイアン(ズイアン
    一度イチドだけの来日ライニチ 長崎ナガサキ渡来トライするも滞在タイザイミジカ詳細ショウサイ不明フメイ 作品サクヒンスクない 「ヨウウンチク」が有名ユウメイ
      ヒツ簡素カンソ描写ビョウシャナカ飄々ヒョウヒョウとしたオモムキえている
8 ソウ ガン 宝暦ホウレキネン来日ライニチ ソウガク アザガンガン) ゴウイシコウイシコウヤマキコリ ウンテイ チョウケイヒト ショ ガク 
  (紫ー) ドウ10ネン長崎ナガサキ 草々ソウソウとしたヒツ山水画サンスイガエガいた アザやかな着色チャクショク花鳥画カチョウガ得意トクイとした
    キャク興福寺コウフクジマイソウ ソウセキ楠本クスモトユキケイ1715-86)はガン画法ガホウオソわりセキえた。
9 テイ セキジョウ 寛政カンセイ10(1798)コロ カスミセイ アザセキジョウ カシワトウゴウす 江南コウナンヒト トウ船主センシュとして長崎ナガサキ往来オウライ
      寛文カンブン10ネン(1798)にトウカンんでいた コトショくす
10 コウ ゲイカク 嘉慶カケイ20・1815 シン時代ジダイ文人ブンジンイミナシン 江蘇コウソ蘇州ソシュウヒト 嘉慶カケイ20ネン(1815)来日ライニチ以後イゴ
    来日ライニチ以後イゴ数回スウカイ 長崎ナガサキ数回スウカイ来泊ライハクし、頼山陽ライサンヨウ 梁川ヤナガワホシイワオ 田能村タノムラ竹田チクデンらと交遊コウユウした
    渡来トライした サン詩文シブン得意トクイとし、長崎ナガサキではオオくのショノコしている。
11 コウ  文化ブンカ年間ネンカン タイ アザタイコウ 連山レンザンゴウす 蘇州ソシュウヒト チョウソウソウとす
  コウタイコウ -1804 長崎ナガサキ奉行ブギョウ支配シハイ勘定カンジョウヤク太田オオタ蜀山人ショクサンジンコウタイコウショくするをり、書画ショガ
    06年まで かせてミズカらもタノしんだという 当時トウジ長崎ナガサキホク主流シュリュウ簡素カンソでしゃれた
    渡来する 南画ナンガ登場トウジョウオオくの画家ガカびつき南画ナンガヒロがった。
12 チン ナンヒン 1682-? 中国チュウゴク江蘇省コウソショウヒト 享保キョウホ16ネン(1731)長崎ナガサキ渡来トライヤク年間ネンカン滞在タイザイ 
      色彩豊かな写実的シャジツテキ花鳥画カチョウガ得意トクイとした その画風ガフウノチ日本ニホン画壇ガダン
      大きな影響を大名ダイミョウ武家ブケから庶民ショミンまで幅広ハバヒロ人気ニンキハクした
13 チョウ シュウコク 天明テンメイ6(1786) 浙江省セッコウショウヒトで アザシュウタニ帰国後キコクゴシュウコクえたようだ 天明テンメイガツ長崎ナガサキ
    シュウコッ 長崎ナガサキ渡来トライ 渡来トライし 帰国後キコクゴエガ日本ニホンオクっていいる シュウタニ作品サクヒン水墨スイボク
      多く淡彩画も稀に見られる  簡単カンタンオオいが細密サイミツサンスイもある
      シュウコク作品サクヒン色彩シキサイ花鳥画カチョウガオオ
14 モウ カンキュウ 天明テンメイ-寛政カンセイ モウウジ ジュZ アザは涵九 ソンゴウす 唐山トウザン江南コウナンショウ蘇州ソシュウケンジュウ
      長崎に往来す
    1781-1800コロ 寛政カンセイ10ネン(1798)松浦マツウラトウケイケイ筆談ヒツダンす 天明テンメイより文化ブンカコロライジュウした模様モヨウ
      モウ涵九は 詩文シブンくしマタタクみであった ヒサしく長崎ナガサキ日本語ニホンゴ
      精通セイツウ和歌ワカ俳句ハイクなどに興味キョウミ日本ニホンフウ理解リカイコノんでいた
      モウ涵九はトウ日本ニホンツウとしてウタわれた。作風サクフウ水墨画スイボクガオオ風俗画フウゾクガ
      和歌ワカ俳句ハイク日本人ニホンジン以上イジョウタクみにツクサンとして風刺フウシいている
15  コン 天明テンメイ13ハツ来日ライニチ ランチョウ シンコウゴウす コン南宋ナンソウくした その水墨画スイボクガソウ
  シンコウ 1842 チョウムシ筆力ヒツリョクがあって妙趣ミョウシュである 幕末バクマツ来日ライニチした清人シンジンナカではヒイでた
      存在ソンザイであった
16  公寿キミヒサ 明治メイジコロ エン アザコウ寿ジュ テイヒト ハナソウ山水サンスイ得意トクイとする ショにもチョウ
      上海シャンハイにてオウバイトモ活躍カツヤクす 岡田オカダコウジョ親交シンコウあり(明治メイジ20年頃ネンゴロ
17  テツバイ 明治メイジ32ネンボツ ショウ アザテツバイ ギョウジョウショウ安徽アンキヒト 花鳥カチョウ山水サンスイ得意トクイとする 明治メイジ12ネン
    52サイ 頃来日 名古屋で数年スウネン活躍カツヤク 帰国後キコクゴ政府セイフ嫌疑ケンギ日本ニホン亡命ボウメイ   
      明治32年没す 52サイ 長崎ナガサキでは伊藤イトウ八百ヤオソウ画法ガホウけた
18 オウ バイ 1853-1889-? イミナトラ アザバイ 江蘇コウソ出身シュッシン チチ画法ガホウマナ上海シャンハイゴトってゴウ
      せり 上海シャンハイオトズれた日本人ニホンジンバイモトめる コウショネン明治メイジ10・1877)
      ハツ来日ライニチって生活セイカツす 山水サンスイランチク人物ジンブツ多岐タキワタり、
      書も得意とした
19 チョウ トウサイ 天明テンメイボツ ベツゴウソクシンサイ ホカ 長崎ナガサキ清人シンジンハジソウリュウゼン禅師ゼンジホウテイとなり、ノチ
  深見フカミゲンタイ 74サイ・1786 深見フカミゲンタイ名乗ナノった ブンチョウメイ,トウ昌のヒツホウ研究ケンキュウした
20 セン ショウ 明治メイジ 清人シンジン 篆刻テンコク 隷書レイショくす 
      小曾根コソネケンドウショ篆刻テンコクオシえた
21 ヒョウ キョウジョ 1822-1894 アザテツ 広東カントンヒト その経歴ケイレキなど不明フメイでが明治メイジ10-20ネンにかけて長崎ナガサキ
      往来した事が作品グンからられる ショくし山水サンスイボクチクウメナドエガいた
      横浜ヨコハマにもジュウし、中国チュウゴクの「大同ダイドウ学校ガッコウ」の発起ホッキニンツトめ、インサツ出版シュッパンギョウをした
      孫文革命カクメイの支援に活躍した模様モヨウ
22 ドクセイエキ マンレキ24- アザドクリツ セイサイ リュウ マンコウ 浙江省セッコウショウクイ州のヒト 詩文シブン医術イジュツタッ
    1596 マタ書画ショガくしトクショツウじた 承応ショウオウネン(1653)ライサキ 瀬川セガワニュウトクグウ
      ドウネン(1654)隠元インゲン禅師ゼンシ渡来トライするや、隠元インゲントモ行動コウドウした
      ショギョウ書を得意トクイとし、その特異トクイにして上品ジョウヒンショなり
23 ホウ 西ニシ エン 1766 ナカコク安徽省アンキショウヒト安永アンエイネン(1780)40サイトキトウ船主センシュとして航海コウカイチュウアンボウ
    安永アンエイ9・1780に コク千葉県チバケン)に漂着ヒョウチャク 花鳥カチョウサンスイ得意トクイとした 長崎ナガサキ回送カイソウされるトキ
    トウ船主センシュとして来日ライニチ 富士山フジサンエガいたコト有名ユウメイ 安永アンエイ-寛政カンセイ(1772-1801)に何度ナンド来日ライニチ 
      水墨画スイボクガゴク彩色サイショク花鳥画カチョウガられ谷文晁タニブンチョウ渡辺ワタナベ崋山カザン影響エイキョウアタえた
      サイアザキョカワキョサイ西サイエンゴウ
24 ブン サンハシ 弘治コウジ11-マンレキ1 ブンホウ コトブキショウといいサンハシゴウした ブンチョウ長子チョウシシンギョウソウショタクみで篆刻テンコク
      くした
25  ショウヒン 幕末バクマツ明治メイジ 詳細ショウサイ不明フメイ シン 浙江省セッコウショウヒト ショくした来舶ライハク清人シンジン
      文人画ブンジンガ寄書ヨセガきのナカ時々トキドキがみえる
27 テイ ハンスズナ 詳細ショウサイ不明フメイ シン時代ジダイケンリュウ年間ネンカン(1736-1795)のヒト アザナンメイ 江蘇コウソシュウ蘇州ソシュウ出身シュッシン 水墨画スイボクガ
    テイ赤城アカギドウ 花卉カキ人物画ジンブツガくす ホウ西サイエン安永アンエイ9ネン1780にトウ船主センシュとして来日ライニチ)の
    時代か? 作品サクヒン安永アンエイ10・1781サク)にサンをいれたりしている
28 リン ウンタツ 1875-1911 広東カントンヒトまれは清朝シンチョウ中期チュウキ道光ドウコウ8ネン(1828)であるが、活躍カツヤクしたのは
    シンマツ 清朝シンチョウ末期マッキである カレショ堪能タンノウ商人ショウニン文化ブンカ3ネン(1863)長崎ナガサキ渡来トライした
    道光ドウコウセイ 明治メイジ16ネン(1883)ゴロまで滞在タイザイし、このカン文人ブンジン墨客ボッキャクらと交流コウリュウした
    1828セイ 書家ショカ中林ナカバヤシタケウンタチにその書法ショホウオソわった
29 ボタン シンエン 明治メイジコロ 来舶ライハク清人シンジン ショ
30 シュウ アキラジョ 明治メイジコロ 来舶ライハク清人シンジン ヘイヒロ出身シュッシン  文人ブンジン
31 シュウテイスウ 嘉永カエイネン シュウテイゴウす ゴトくしソウハネモウ山水サンスイ人物ジンブツいずれもミョウている
    (1802ネン 寛政カンセイ年間ネンカン(1789-1800)以後イゴ来舶ライハク清人シンジン 清代シンダイ画家ガカアザガク 
    日本に来航ライコウ 号を秋亭 ゲンイマ江蘇コウソシュウ蘇州ソシュウ)のヒト 
32 リク ヒン 幕末バクマツ明治メイジ 文化年間に長崎にいた医師で、名は加金。市川寛斎や頼山陽と交流が
      あった。ショがおおくられるれる。幕末バクマツ明治メイジ来舶ライハク清人シンジン 詳細ショウサイ不明フメイ
33 オウ テイショウ 中国チュウゴクミン時代ジダイ 詳細ショウサイ不明フメイ ミン時代ジダイ画家ガカ水墨スイボクオオい スウテイコウ3年サンネン1630ネン
    ー1638 天啓乙丑5年1625年・崇禎イン18ネン1638ネンナド作品サクヒンられ
      明治メイジ時代ジダイ資料シリョウにもているので相当ソウトウムカシからられたヒトのようだ
34 チョウ ショウ 1803-1886 シン後期コウキ画家ガカ 浙江省セッコウショウシュウスイヒト アザショウ ゴウは オシドリ外史ガイシ 鴛湖老人ロウジン 
      山水サンスイ人物ジンブツくしたが、鮮麗センレイ色彩シキサイ花卉画カソウガスグコトバくした
      金石キンセキ書画ショガ収蔵シュウゾウでもられ、ショ隷書レイショをよくした。
35  ソン 文政ブンセイゴロ来日ライニチ 文政ブンセイ9・10ネン南京ナンキンセン船主センシュとして江芸閣コウウンカクらと来泊ライハクした記録キロクがある
      文人画ブンジンガ寄書ヨセガきのナカ時々トキドキがみえる ショくした
      雲仙ウンゼン雲仙ウンゼン温泉オンセン380番地バンチ 「モリ美術ビジュツカンin雲仙ウンゼン」 電話デンワ0957-73-3482