江戸時代、長崎に入った中国の文化(来舶清人の書画展)
H23・1・23(日)〜6・5(日)
1 費 晴湖 天明〜寛政往来 中国浙江省の人で天明〜寛政(1781−1800)頃唐船主として
    1781-1800頃 長崎を往来。費漢源の遠戚で幼少より山水画を好んだと云う。
      書も能くし日本の書家にも影響を与えた
2 方 西園 1766年 生 中国安徽省の人で、安永9年(1780)40歳の時唐船主として航海
    安永9(1780)に 中安房国(千葉県)に漂着。花鳥や山水画を得意とした。長崎に回
    唐船主で来日 送される時に富士山を描いた事で有名。
      水墨画や極彩色の花鳥画が見られ谷文晁や渡辺崋山らに影響を与えた
3 徐 雨亭   中国浙江省の人で王克三と同じく、戦乱を避けて渡来。水墨画を
      得意とした。上品な山水画を得意として長崎の南画家達、に大きな
      影響を与えた。米法山水も得意であった。
4 王 克三 文久2年 中国浙江省の人。文久2年(1862)故国の戦乱を避けて妻子と共
    -1862 に長崎に渡来。しかし相次いで妻子をなくし、次男と過ごした墨梅花
      が得意で「王克三の梅」と称された。書も巧みで行書・草書に秀で
      ていた。
  馮 鏡如 1822−1894? 字哲華。広東の人。その経歴は不詳だが明治10年代から20年代
5     にかけ長崎来往したことが作品から知れる。山水、墨竹、墨梅等を
      よくした。書も数多く残している。
6 程 赤城 寛政10〜 名は霞生 字は赤城 柏塘と号す 江南の人 唐船主として長崎往来
    1798 寛政10年(1798)64歳で唐館に住んでいた 絵事・書を能くす
  江 芸閣 嘉慶20(1815) 清時代の文人・諱は辛夷 江蘇蘇州の人 嘉慶20(1815)以降長崎に
7 こう うんかく 来日・以後数回 度々来舶し、頼山陽、梁川星巌、田能村竹田らと交友した
    来日 賛詩文を得意とし長崎では多くの書を残している 貿易商人
  江 稼圃 文化元年渡来 名は大来 字は泰交 連山と言い稼圃と号す 蘇州の人 張宗蒼を師と
8 (江泰交) す(1804) す 長崎奉行支配勘定役大田蜀山人が江泰交が書画を能くする事を知 
    6年(1809) り 書画を書かせて自らも楽しんだと云う 当時長崎は北画系が主流で
    まで渡来した 簡素で洒落た南画の登場で多くの画家が飛びつき南画が広まった
  沈 南蘋 1682〜? 中国淅江省の人 享保16年(1731)長崎に渡来し約2年間滞在 色彩
9     鮮やかな写実的な花鳥画を得意とした その画風は後の日本画壇に大きな
      影響を与え、大名や武家から庶民まで幅広い人気を博した
  伊 孚九 享保5(1720) 淅江省の人で、南京船主として幾度か長崎を往来した 特に山水画が
10   初渡来 得意で我国の南画発展に大いに寄与した 枯れた上品さで、洒落た
      山水画は長崎南画会に大きな影響を与えた
  張秋谷 天明6(1786) 淅江省の人で、字は秋谷で、帰国後秋穀に変えたようだ。天明6年に
11 (張秋穀) 長崎に渡来 長崎に渡来し、帰国後も絵を描いた 秋谷の作品は水墨画が多く、淡彩画
      も稀に見受けられる。秋穀の作品は色彩画の花鳥画が多い
12 李 用雲 享保年間来崎 中国の人で享保年間に長崎に初渡来している 南画を好み特に水墨画の 
    1725頃 竹図を得意とした。 書も長けていた
  孟 涵九 天明〜寛政 孟氏 名は世需Z 字は涵九 蓀田と号す 唐山江南省蘇州府呉県に
13   1781-1800頃 住し長崎に往来す。寛政10年松浦唐渓と筆談す 天明より文化頃来住
      した模様 孟涵九は詩文を善くし、又画も巧みであった。久しく長崎に住み
      日本語に精通し和歌俳句等に興味を持ち、日本風を理解し好んでいた。
      孟涵九は唐土の日本通として謳われた。作風は水墨画が多く風俗画に
      和歌や俳句を日本人以上に巧みに作り、賛として書いている(風刺画)
  華 昆田 天保13初来日 名は蘭徴 心香と号す 華昆田は南宗画を善くした その墨画の花草
14   1842 鳥虫画は筆力があって妙趣である。幕末に来舶した清人の中では
      秀でた存在であった。
  陳 逸舟 ?〜1832 諱は熺 字は元熺、逸舟、小鸚鵡洲画史と号す 淅江省の人道光12年
    〜1850〜? (1832)初来日。船主らとして6回来日 合計10回程来日が確認されている。
15     (嘉永3年1850まで)梅花図等王軍・王原礽等の画風を継ぐ上品な山水画を
      描き来舶清人の中でも本格的な画技を修めた人と思われる
      鉄翁との交友を通じて長崎の文人・画家との交友が知られる。
16 徐 雨亭 幕末明治 中国淅江省の人で王克三と同じく、戦乱を避けて渡来
      上品な力強い水墨山水画を特異とした。
17 胡 公寿 明治頃 名は遠 字は公寿 華亭の人 花卉山水を得意とする 書に長ず 上海
      にて王冶梅と共に活躍す 岡田皇所と親交あり(明治20年頃)
  胡 鉄梅 明治32年没 名は璋 字は鉄梅 堯城小 安徽の人 花鳥山水を能くす 明治12年頃
18   52歳 来日 名古屋で数年活躍 帰国後は政府の嫌疑を受けて日本に亡命
      明治32年没す 52歳 長崎にては、伊藤八百叟が画法を受けた
19 王 冶梅 1853〜1889〜 諱は寅 字冶梅 江蘇出身 父に画法を学び上海で絵事をもって業とせり
      上海を訪れた日本人冶梅の絵を求める 光緒3年(明治10・1877)初来日し
      絵を売って生活す 画は山水、蘭竹、人物と多岐に渡り、書も得意とする。
20 趙 陶斎 天明6没 別号は息心斎 他 長崎の清人の子で始め僧笠禅禅師の法弟となり
    74歳 1786 後深見玄岱を名乗った 文徴明・董其昌の筆法を研究する
  陽 萁明 ?〜宝暦5 董通事 欧陽雲台を祖とする陽氏の本家五代 享保11年(1726)小通事
21   1755 末席となり 寛保2年(1742)大通事になり寛延4年(1751)退役
      陽萁明は書家として有名であった。
22 銭 少乕 明治 清人 篆刻・隷書等を能くす
      小曾根乾堂に書・篆刻を教えた
23 林 雲達 明治 清人 行書を能くす 文又流寓殆20年  明治中頃没す
       
24 鈕 心園 明治頃 清人  書家
       
25   明治頃 平湖廣出身  文人
  周 彬如    
26 獨立性易 万暦24〜 字獨立 性戴 笠  曼公 淅江省杭州の人 詩文に長け医術に達し
    1596 又画を能くし書道に通じた。承応2年(1653)来崎。潁川入徳に寓す
      同3年(1654)隠元禅師渡来するや、隠元と共に行動した。
      書は行書を得意とし、その技特異にして上品な書なり。